奇跡は偶然の所産ではなく、偶然を作り出す才能の所産である
10月7日ノーベル化学賞を日本の根岸・鈴木の両氏が受賞したことを伝える読売新聞の記事の中に「受賞の対象となった業績は有機化合におけるパラジウム触媒によるクロスカップリング」であり、根岸博士は文章の中で「体系的かつ長期的探求を恩師のブラウン教授から学んだ。これを継続することで、セレンディピティ(偶然で幸運な発見)を呼び込めると確信する」とつづっていることを紹介していた。
「セレンディピティ」は「偶然で幸運な発見」と説明されているが、直訳はなんと「セイロン地方」すなわち今のスリランカである。検索した説明によればイギリスの小説家ホレス・ウオポールが1954年に生み出した造語で、「セレンディップの3人の王子」という童話に因んだものだそうである。この王子たちは旅の途中、いつも意外な出来事と遭遇し、彼らの聡明さによって、もともと探していなかった何かを発見することができた。そのことから、「偶然で幸運な発見」を「セレンディピティ」と呼ぶようになったようだが、正しくはそうした発見をすること自体ではなく、発見する能力・才能をさす言葉であるそうだ。
「偶然で幸運な発見」といえば、最近我々教育屋の世界にも似たような言葉で「プランド・ハプスタンス」を「偶然のキャリア」と翻訳した言葉がある。この翻訳だと何を言わんとしているのかよくわからないかもしれない。元来の意味は「計画化された偶然性-予期せぬ出来事をキャリアに生かす才能」のことである。この理論の提唱者であるスタンフォード大学教授のクルンボルツ博士は、人間は「学習し続ける存在」であり、それゆえに新しいことに挑戦し、今までの行動を変えることもできる存在であるがゆえに、偶然性や予期せぬ出来事を、あたかも計画されたかのように活用する能力や才能を開発することができるというのである。
これまでに主流となってきたキャリア開発では、過去の自分の経験や修得した能力や才能の延長線上で将来のビジョンを考え、それに向かって新たな才能を身につけることにより、キャリア開発ができると考えていた。しかし、「プランド・ハプスタンス」という概念は、これまでの考え方に一石を投じた形になっている。過去のしがらみにとらわれない新たなキャリア開発が可能であるという光明でもある。クルンボルツ教授はこうした偶然性を引き起こす才能として「好奇心・持続性・楽観性・柔軟性・リスクテイキング」の5つを挙げている。
このような才能や能力を、個人のみならず組織単位で世界に知らしめた出来事がある。ノーベル賞の発表のわずか6日後の13日に、チリの落盤事故のために地下に生き埋めになった33名の炭鉱夫が全員無事に救出されたというニュースが飛び込んだ。人はこれを「奇跡の生還」と呼んでいるが、この一報を伝えたNHKのアナウンサーは「奇跡は偶然の所産ではありませんでした。チリ政府を初めとしてすべての関係者、事故にあった地下の人々とその家族、そして世界中の人々の傾けた科学の粋、挑戦、忍耐、祈りそして何よりも愛情がこの奇跡を生み出したのです。」と語った。その後の報道でもこのことは何度も繰り返し伝えられている。
私はわずか1週間の間に起きた2つの出来事を通して「奇跡は偶然の所産ではなく、偶然を作り出す才能の所産である。」奇跡と呼ばれるような大成功であっても、またそれぞれの人生における小さな成功であったとしても、それは偶然の所産ではなく、そうした成功に導く偶然と呼ばれるような出来事を引き起こす能力の所産であるということを改めて認識した。であればこそ、能力を開発し、その努力を傾けることの大切さが存在するのである。そして、プランド・ハプスタンス(計画化された偶然性-予期せぬ出来事をキャリアに活かす才能)を提唱しているクルンボルツ博士に改めて敬意を表したいと思う。
2010.11.01
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