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最近増殖している他責人間
我が家の近くに「愛想は悪いけれどすこぶる美味いそばを食べさせる」と評判の店がある。日頃から「料理の値段の半分は客扱い」と言っている私にとって行ってみたくもない店であったが、最近「何でも経験だ」という言葉にも魅力を感じてきたので、行ってみることにした。

 柱の太い田舎の庄屋風作りの店は、店内で琴のBGMなど流し結構行けているではないか。愛想が悪いはずの店主はおらず、二人のアルバイトの女の子がいた。「すこぶる美味い」という「せいろそば」を頼んでから、トイレを借用したが「内側のドアの鍵が壊れています。外側のドアの鍵をかけてお使いください」と書かれた張り紙。確かに愛想はないな、程度の感想しかなかった。

 それほど遅くなく頼んだものはやってきた。確かに美味い、と舌鼓を打っていたところにアルバイトの女の子が「蕎麦湯でーす」と湯さしを持ってきて、すばらしい「なんでも経験だ」が始まった。彼女が湯さしを置くときに、テーブルに少しだがこぼしてしまったのだ。それから・・・「あっ、こぼれちゃった」と、ただそれだけなのである。「すみません」でもなく、ふき取るでもなく。唖然とする私、心配げな家内。

 そして「いつもなら、すぐに文句をつけるあなたが、黙っているなんて珍しいね」と言う家内。そばの美味さをかみ締めながら、「なんでも経験だ」を沈思黙考。うーん、アルバイトの彼女の言葉には深いものがある。「こぼしちゃった」ではなく「こぼれちゃった」であった。つまり調理場を出るときから「こぼれるのではないか」と心配しつつ持ってきて、ここに来てついに「こぼれちゃった」のである。こぼした自分が悪いのではなく、こぼれるほどの量を入れた人が悪いのである。だからお客に謝るのでもなく、拭きに来るのでもないのである。(本当は、単に愛想の悪い店主の教育が悪いだけなのかもしれないが・・・)

 なるほど、そういえば世の中にはこの手の人間が増えていることに気づき始めた。日頃、他人からの評価をすごく気にしているのだが、何か失敗をすると「自分は悪くない。そういう状況に自分を追いやった誰かが悪い」と言い張る輩(やから)である。事が起きると「他責」を探し、主張し、「自責」の念はまったくないのである。どうしてこういう人間が生まれるのか、先天的なのか、後天的なのか・・・。「他責人間の研究」、これから追求するいいテーマのひとつが見つかった。

 「あっ、こぼれちゃった」女の子、ありがとう。そして「愛想は悪いがすこぶる美味いそばを食べさせる」お店、ありがとう。でも、もう二度と行かないけれど、ありがとう。私も人間が丸くなったものだ。
2007.05.06

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