仕事における喜び
最近、読んだ本に仕事の世界で「幸福」になるには何が必要なのか?という「個人の幸福」という問題を書いた本を読んだ。
『「仕事における自己実現が喜びだ」とよく言われるが、本当に会社で「自己実現」まで目指す必要があるのだろうか?そこまで目指すのは本当に幸福になることなのだろうか?実は、「人に認めてもらう」位でいいのではないのか?と考えてしまう人も多いのではないだろうか。しかし、ある仕事に没頭できたとか、今の仕事が適職だと気づいたとか、仕事を通じて一皮むけたとかということを感じたことのある人は自己実現の道を歩んでいることになるのではないだろうか。そして、こういう「普通の自己実現」を重ねてゆくうちに「本当の自己実現」の存在に気づく。』ということが書かれていた。
自分もそれ位のことなら、これまで感じたことのあるという人も多いかもしれない。
この前提となるのが先ず「仕事がおもしろくなる」ことであると思う。しかし働くことは楽しみと感じることもできるが、苦役としかとらえられないこともある。
たとえば、スポーツジムでやっている錘を上げたり、下げたり、動くベルトの上を走ったりすることは、ある意味で奴隷の苦役と変わらないという見方もできる。しかし、ジムで運動する人と奴隷とでは大きな違いが2つある。それは「自由」と「動機」である。
仕事も同じで、たとえ苦役のような仕事でも自由や動機があれば、やる気が出てきて、仕事がおもしろくなるのではないだろうか。
従って、人を動かす立場にある人は、このような動機のメカニズムを理解することが重要であろう。働く動機には、先ず報酬や肩書きといったいわゆる「外発的動機」がある。つまらない仕事でも給料を倍にすると言われれば誰でも働く気になる。しかし、この「外発的動機」は、そう長くは続かないものである。
特に、昨今報酬を上げるにも限界があるし、昇進のポストも限られている。そこで、重要になるのが「内発的動機」である。これは、個人の中にある「内なる火」であり、有能なリーダーは、人の内なる火を燃え上がらせることができるのである。
この例として、ロッテのバレンタイン監督が上げられる。彼は、一軍で働けなくなった投手をバッティングピッチャーに指名するときに、彼ととことん話し合って、彼にその働く意味を理解してもらった。その元一軍ピッチャーは、「チームのために」という「内発的動機」で自分の存在意義を見つけることができたそうである。人は「自分が決めたことをやっている」という「自己決定感」が「内発的動機」になる。いくら自分が得意なことでも、「やらされている」仕事はつまらないと感じる。
バレンタイン監督の指導法は「リスペクト管理」と言われる。選手を褒め、尊重して自分の役割を認識さえ「やる気を出させる」方法である。
また、変革の時代のリーダーの役割は大きく2つあると思う。「将来のビジョンを描くこと」と「人々を巻き込むこと」である。この例として、阪神タイガースの星野元監督が上げられよう。星野監督は、それまで、万年Bクラスだった阪神タイガースに「優勝」というビジョンを描き、植え付け、皆を巻き込んで就任2年目にしてセリーグ優勝を果たした。
この二人のプロ野球監督をみると、その素質に共通したものを感じる。部下の様々な感情を察し、ケアしたり、鼓舞したり、叱責しながら仕事への意欲をわかせ、課題達成に導く能力に長けていると思う。
「動機付け」という言葉があるが、「動機」は「付ける」ものではなく、もともとあるものを「引き出す」ものである。「動機を引き出す力」こそ、この二人の監督に共通するリーダーシップ力ではないだろうか。こういうリーダーのもとには、部下は喜んでついてくる。
こうして考えてくると仕事における喜びは、リーダーの資質に大きく影響されることがわかる。
これを思いながら、猛虎ファンとして、今季優勝した岡田監督のリーダーシップについて考えてみると、彼は、バレンタイン監督型と星野監督型の中間ではないかと思う。2軍から多くの選手を育ててきた。各選手がそれぞれ自分の役割を認識し、それを果たすことに喜びを感じるような組織ができれば、常勝阪神タイガースとなるのではないだろうか。
(NO)
2005.10.09
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